【第52号 2024/9/24 発行】
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[1] 奈良SDGs学び旅 問合せ報告/実施報告
[2] はばたけ ルリセンチ No. 51
[3] 実行委員長コラム
[4] 奈良教育大学・中澤静男先生が奈良市観光協会より表彰されました
[5]お知らせ
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[1]奈良SDGs学び旅 問合せ報告/実施報告
●問合せ報告
なし
●実施報告
・2024/9/19 兵庫県 中学校 オンラインSDGs講義 178人
[2] はばたけ ルリセンチ No.51
[3]実行委員長コラム
●~日本の法律の歴史~
日本では、社会全体が法律によって守られています。このようなシステムの国を、法治国家といいます。見えない法律が、人間の行動を通じて社会の基盤を強固に形作っているのです。
日本が法治国家としてスタートしたのは、明治時代以降といわれています。
日本は、そのタイミングに近代法を取り入れるだけでなく、士農工商という身分制度を排して四民平等へ社会制度を変革し、海外の技術を受け入れて鉄道や工場を作り生産の仕組みを変え、近代的な軍隊を編成し、中央集権の機能を高めて政府の権力を強大化し、中央銀行制度により市場と経済の近代化に取り組みました。
それだけではありません。丁髷(ちょんまげ)を切り、洋装に変え、肉を食べるなど、生活文化も変容していきました。政治システムをはじめとして、生活や文化のパッケージを取り入れる準備を行った上で、今につながる近代法を体系的に取り入れていたといえるでしょう。
では、以前の日本には法律は無かったのでしょうか。
それまでは、鎌倉時代に作られ江戸時代まで武士の規範となった『御成敗式目』や、江戸時代につくられ大名と諸藩の武士階級の規則として重要であった『武家諸法度』が存在します。
しかし、最も重要なのは、飛鳥時代に作られた『飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)』です。その後、『大宝律令』、『養老律令』へと短い期間に変化し、事実上、明治時代まで公家の中では生きていました。
この法律が持ち込まれた飛鳥・藤原京から平城京の時代は、古代部族性の名残が大きかったと思える社会が仏教を受けいれ、中国の唐のような官僚制度の国へと変化するなど、宗教も建築物も服装も大きく変化しています。
前回、神道の精神を残す文献『日本書紀』を編纂した藤原不比等を紹介しましたが、彼は日本の古代法の編纂においても大活躍しています。『大宝律令』も藤原不比等の手によるものです。歴史書で不比等が最初に登場するのは、『日本書紀』の持統天皇三年(689年)です。竹田王と共に判事(ことわるつかさ)となったことが記されています。
大宝律令は八省を定めましたが、その中に今の裁判所にあたる刑部省がありました。判事とは大納言など高位の職とは違って系列外の官で、犯罪を審理し、刑を定める仕事でした。
中臣家として神官の役割をするのではなく、法律に対応する官僚の仕事についていたことがわかります。
ところで、大祓詞(中臣祓)には律令以前の日本の「罪」について語られています。天津罪、国津罪、許許太久罪です。中でも、天津罪とされる重い罪は、次の8種類です。
畔放 (あはなち): 田圃の畔を取りこわし、稲田の水を外に流す行為
溝埋 (みぞうめ): 畔と畔の溝を埋め、田圃に水が入らなくする行為
樋放 (ひはなち) :樋をかけて山の谷から田圃に水を引いて来るのを取り放つ行為
頻蒔 (しきまき) :1度稲種を蒔いた他人の田圃の上に、再び種を蒔くこと
串刺 (くしざし) :他人の田圃の境界に境界を示す竹を立てることで、共に他人の耕作田を横領する事
生剥 (いきはぎ) :生きている馬の皮を剥ぐこと
逆剥(さかはぎ):馬の皮を尻の方から剥ぐこと
屎戸(くそへ): 祭場を糞尿などの汚物で汚すこと
前半は,米作の収穫を妨げる行為、農耕社会の共同体を危機に追い込む加害行為です。
一方、飛鳥・藤原時代に中国からもたらされた律令では重大犯罪を「八虐(はちぎゃく)」と定めています。
謀反(むへん):「国家」すなわち天皇を害することを謀る罪
謀大逆(ぼうだいぎゃく):山陵(古墳)または皇居を壊すことを謀る罪
謀叛(むほん):内乱または外患を謀る罪
悪逆:祖父母・父母を殴り殺そうと謀り、伯叔父(はくしゅくふ)・姑(こ)〈父の姉妹〉などを殺す罪
不道:一家の者3人以上の殺害、残虐な殺人など
大不敬(だいふきょう):大社を毀ち、天皇の御物を盗み、天皇を誹謗し、詔使(しょうし)の命に従わないなどの罪
不孝(ふきょう):祖父母・父母を告訴し、または詛い罵るなどの罪
不義:帳内(ちょうない)・資人(しじん)が主人を殺し、本国の守または恩師などを殺し、夫の喪中に再婚するなどの罪
祝詞に記される犯罪とは、名称だけでなく罪の内容が大きく異なっていますね。国家に歯向かうことを最大の犯罪と明記しているのです。国という概念の始まりといってよいかもしれません。
もともと中臣氏であった藤原不比等をはじめ当時の官僚は、より古い法律を理解したうえで、中国の近代法である律令を日本にあうように少しずつ変えていったのだと思われます。日本の順法精神とは、決して近代化以降に育ったのではなく、このような古代法の制定の中で長らく育まれてきたのでした。
そして、この律令/精神は明治になるまで、日本人の規範意識として生きてきたのです。
鎌足の息子・藤原不比等は平安時代の上級貴族を全て藤原としてしまうほどの影響力をこの国に残しました。
それは、日本人の心の原点「神仏習合」と共に、法治国家の礎として律令の基盤を作ったからといえるかもしれません。
[4]お知らせ
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