【第51号 2024/9/10 発行】
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[1] 奈良SDGs学び旅 問合せ報告/実施報告
[2] はばたけ ルリセンチ No. 50
[3] 実行委員長コラム
[4] 奈良教育大学・中澤静男先生が奈良市観光協会より表彰されました
[5]お知らせ
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[1]奈良SDGs学び旅 問合せ報告/実施報告
●問合せ報告
・2025/2/10 新潟県 中学校 115人
・2026/11/11 東京都 中学校 180人
●実施報告
・2024/9/02 福岡県 中学校 SDGs講義+F/W 74人
・2024/9/03 島根県 中学校 SDGs講義+F/W 48人
[2] はばたけ ルリセンチ No.50
[3]実行委員長コラム
●神と仏が共存する社会
~日本文化の原点を作った人たち~
藤原道長を中心人物とした大河ドラマ「光る君へ」が話題ですね。
登場人物のほとんどが「藤原さん」なので、わかりづらくて戸惑ってしまいます。
まさに、平安時代は藤原氏の全盛期なんですね。
ところで、歴史好きな人ならご存じでしょう。藤原姓は、大化の改新で活躍した中臣鎌足が、死後に天皇からいただいたことから始まりました。
この鎌足には、2人の息子がいました。
長男の定恵は、とても優秀で僅か10歳で遣唐使として中国に渡りますが、帰国後すぐに病気のため23歳で亡くなります。
その時の鎌足の悲しみは、どんなものだったでしょう。
次男の不比等は、鎌足が45歳の時に生まれます。不比等が11歳の時に鎌足は亡くなりますが、中央政府で大活躍します。鎌足の息子として、中大兄皇子(天智天皇)など、天皇家に目をかけてもらえたことでしょう。
また、中国で学び早世した定恵の弟として、遣唐使仲間に学問を指導してもらえたかもしれません。
不比等は、法律や文筆の才に恵まれており、律令時代の基礎となった大宝律令の制定や日本書紀の編纂、藤原京から平城京への遷都等、多岐にわたり尽力しました。
不比等の屋敷は、平城京内裏から歩いて10分ほどの位置、法華寺の付近にありました。今でいえば、内閣官邸から歩いて10分のところにありました。悲劇の王・長屋王よりも、ひときわ大きな屋敷でした。
ところで、兄の定恵は、僧侶として中国から帰ってきました。
また、自身は、仏教に篤かった蘇我一族である蘇我連子の娘・蘇我娼子を、妻として迎えています。
このように、不比等は仏教と深い関係にありました。
一方で、中臣一族の中心人物でもありました。中臣氏は、もともと忌部氏とともに神事・祭祀、今でいう神道をつかさどった中央豪族でした。神道で大切なものに『大祓詞』があります。
『大祓詞』は、『中臣祓』とも呼ばれますが、そこにはこのような歴史的経緯があります
今も日本中の神社でお祓いのたびに祈りの言葉としてささげられるのが、この「大祓詞」です。
大祓詞では主食である「米」が神からもたらされた様子や、罪とは何か、その罪を払うための禊のこと、天岩戸を押し開くことがなぜ重要なのか、が語られています。短いながらにたくさんの要素が大祓詞に含まれています。
そして、その大祓詞の内容を解説してくれるのが、日本書紀という神話なのです。
大祓詞は、千数百年にわたって、日本書紀・古事記といった長い物語を文章で読むことがない日本人に日本神話のエッセンスを伝えてきたのでした。
ところで、文化人類学の祖であるクロード・レヴィ=ストロースは、日本神話を単なる物語ではなく、日本社会にとって深い文化的・社会的意味を持つと考えました。彼の著書『月の裏側』では、「因幡の白兎」の神話を取り上げ、この物語が他の文化圏の神話と共通する構造を持つことを指摘しています。
同時に、日本神話がエジプトや北米、南米の神話と同様に、自然現象や社会的関係を説明するための「ブリコラージュ」(寄せ集め的思考)を用いている、とも述べています。
また、彼は、日本の神話が歴史と密接に結びついている点にも注目しました。西洋の神話と異なり、日本の神話は歴史の一部として受け入れられ、現代の日本文化にも影響を与えていると評価したのでした。
レヴィ=ストロースの視点から見ると、日本神話は単なる古代の物語ではなく、現代社会における文化的アイデンティティの一部として重要な役割を果たしているのです。
例えば、私たちが米を主食としていることや、太陽が入りこむ南向きの家を建てたがることなどです。
このすぐれて評価の高い日本書紀の編纂に関わったのが、藤原不比等です。中臣姓を繫いできた一族の藤原不比等でなければ、このような神話を編纂することはできなかったかもしれません。
藤原不比等こそ、仏教を大切にしつつ日本書紀を編纂した、神と仏が共存することの意味を最初に理解した人だったかもしれません。
不比等の娘は聖武天皇の妻、光明皇后です。大仏建立に命を注げた人の妻です。
藤原不比等とその子供たちは、まさに現代日本人の心を形作った人々だったのです。
光る君の原点、いや日本人の心的構造の原点は藤原不比等ではないか、そう考えると平城京が全く違って見えてくるのではないでしょうか。
平城京を歩くのがとても楽しくなりました。
[4]お知らせ
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