第21号 2023/6/20 発行
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◆目次
[1] 奈良SDGs学び旅 問合せ報告/実施報告
[2] はばたけ ルリセンチ No. 20
[3] 実行委員長コラム
[4] お知らせ
[1]奈良SDGs学び旅 問合せ報告/実施報告
問合せ報告
実施日 | 地域 | 区分 | 人数 |
2023/10/5 | 山口県 | 商工会 | 18 |
2023/10/11 | 新潟県 | 中学校 | 71 |
2024/2/21 | 神奈川県 | 小学校 | 81 |
2024年9月末 | 秋田県 | 高校 | 240 |
2024年12月頃 | 東京都 | 企業 | 10 |
2024年度 | 愛知県 | 小学校 | 120 |
実施報告
実施日 | 地域 | 区分 | 内容 | 人数 |
2023/6/7 | 神奈川県 | 中学校 | SDGs講義
+フィールドワーク |
196 |
2023/6/13 | 神奈川県 | 中学校 | フィールドワーク | 224 |
[2] はばたけ ルリセンチ No. 20
[3]実行委員長コラム
春日大社はなぜ朱いのか
「古都奈良の文化財」が世界文化遺産登録されて25年。
前回、ユネスコの世界文化遺産という仕組みが出来たきっかけについてお話ししました。
今回は、奈良の世界文化遺産の一つ、春日大社の建築様式について考えてみたいと思います。
6月17日、奈良では率川神社の「三枝祭 (ゆりまつり)」が執り行われました。
小さいころに率川幼稚園に通っていた私は、この祭りのときに山車を引っ張っていた記憶があります。夜も近所の人が歌を歌ったり、演奏をしたりと大賑わいでした。
率川神社は、子守社(こもり社)ともよばれ、奈良県桜井市の大神神社の摂社といわれています。
しかし、鳥居も社殿も朱塗り。このことにあらためて「疑問」を感じました。
「大神(みわ)さんと違う、これ、春日さんやん。」
大神神社の鳥居は石造りで、拝殿は白木掘立柱で屋根は檜皮葺、
お伊勢さんは、屋根は萱葺、柱は白木の掘立。出雲さんも白木掘立で屋根は檜皮葺。
大神神社の拝殿は江戸時代に再建されたもので、春日大社よりも新しいのですがむしろお伊勢さんなど古来の形式に近いのです。
この春日大社の独特の社殿は、いつ頃どんな形で生まれたのでしょうか。
奈良県には世界文化遺産登録を目指している「飛鳥 藤原の宮都とその関連資産群」があります。
平城京と共にそれより古い藤原宮都を研究されている小澤毅さん(元奈良文化財研究所研究員・現三重大教授)の著作に、『古代宮都と関連遺跡の研究』(2018)があります。
そこには、日本初の官立寺院飛鳥寺の建設について、こんな文章がありました。
飛鳥寺は、日本で最初の本格的寺院であるとともに、新しい建築構造の成立という点でも画期的な意味をもっていた。
ここにはじめて、大陸様式による瓦葺の礎石建物が誕生したのである。それらは、たんに圧倒的な量感をもってそびえ立つだけでなく、
朱色の柱に白い土壁と緑の連子窓が映え、要所には金銅製の飾り金具が輝くという色彩効果の点でも、当時の人々を驚嘆させたに違いない。(小澤毅 2018: 139)
605年に創建された飛鳥寺の建立によって人々が目にしたものは、それまでの伝統的な日本の掘立柱建築ではなく、瓦葺きの礎石建物でした。
人々は、これまでにない革新性に圧倒されたのです。
仏教伝来でもたらされたものは経典だけでなく、様々な知識ももたらされました。
建造物を軸とした都市づくりや衣服も含めた生活スタイル、法治国家の基盤となる法律の制定などあらゆることが変化していきます。
朱塗りの柱と白い土壁、まさに春日大社の景観です。
むしろ、寺院の景観よりいっそう朱塗りが映えます。
創建当時の東大寺や興福寺もこのような朱塗りの建造物であり、景観の統一化の中でごく自然に神仏習合がおきていたのではないかと想像させられるのです。
聖徳太子が望まれた「和を以て貴しとなす」という思想。
崇仏派と廃仏派の争いは蘇我氏の勝利となり、「やそもののべ(八十物部)」と言われた物部氏は滅びました。世の中は安定したように見えました。
しかし聖徳太子の死後、太子の一族は山背大兄王を筆頭に蘇我氏に滅ぼされてしまいました。再び争いが起きたのです。
乙巳の変、大化の改新、壬申の乱などいくつかの争いの後に、よ
うやく神と仏が共存する空間が生れました。
聖徳太子の願い「和を以て貴しとなす」を体現する場です。
「春日大社はなぜ朱いのか」
これは異なる宗教を統合しようとする日本人の感性の結晶であり、
同時に、平和を希求し対立を解消する道筋の一つのように思います。
明治維新により生まれた戦前の日本。その政府の最も大きな過ちは、神仏分離令だったのではないでしょうか。
大神神社の摂社である率川神社の社殿が赤い理由も、現在は不明です。
ただ、中世のころは春日大社と同じ藤原氏の寺であった興福寺から支援を受けていたそうです。
確かに、ならまちに住む人々の大半が藤の家紋を継いでいる春日さんの氏子でもありました。
その方々の信仰で支えられてきたからには、朱い社殿の方がおさまりが良かったのかも知れませんね。
[4]お知らせ
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