教育旅行向けコース
少人数の
班別行動
エリアと
時間を分散し
密を避ける
01
東大寺の大仏様が造られた奈良時代は、天然痘や大地震、さらに唐や新羅との緊張関係など、大変な時代でした。このような時代をよりよくするために、聖武天皇は大仏様造りを呼びかけました。
聖武天皇の願いは743年に出された「盧舎那仏造顕の詔」に「動植ことごとく栄えんことを欲す」と記されています。人間だけでなく生きとし生けるものすべてが栄える世の中にしたいと願っていたことがわかります。
また聖武天皇は大仏様を造る際、大きな力(権力)で造るのではなく、民間の小さな力を集めて造るという方針を打ち出し、渡来人をルーツに持つ技術者や、行基の協力などもあり、のべ260万人の人々が協力したと記録されています。この精神は後の二度の戦乱による被災からの復興の際にも受け継がれました。
※手配をしたガイドの中に、本協議会主催のガイド研修を修了した学生ガイドが含まれることがあります。
02
県庁からも徒歩圏内の原始林にはシイ・カシ類の常緑広葉樹や、スギやモミなどの針葉樹の大木が非常に多く、太古の森の風景が残っています。一方、森の中には、所々日当たりの良い場所があります。この空間はそれまであった木が倒れるなどして空いたものです。ここには、本来生えてくるべき、シイ・カシ類ではなく、シカが食べないシダやナンキンハゼが生えています。特にナンキンハゼは、昭和初期に街路樹として植えられた外来種です。現在、春日山だけでなく、奈良公園全体で増えており課題となっています。また、それ以外の地表部分は植物がほとんど生えておらず、木々の根が露出している状態です。奈良県では古都奈良の貴重な財産である春日山原始林の持続的な森林更新を促し、人やシカとも共生できる森を保全再生することを目標に、研究者や市民団体と連携して保全活動を進めています。
※手配をしたガイドの中に、本協議会主催のガイド研修を修了した学生ガイドが含まれることがあります。
03
元興寺は南都七大寺にも数えられ大変栄えていましたが、平安京への遷都以降一旦廃れました。極楽堂の曼陀羅信仰により再び活気を取り戻し市民とお寺が支え合う関係を築けたことや、「庚申さん」を供養する庚申講という集まりが市民同士のコミュニケーションを生み、まちのみんなで助け合う仕組みなどができたことが、ならまちが現在まで続く要因の一つです。それ以外にも近くの猿沢池周辺がお伊勢参りの宿場町として栄えたことで、ならまちに住み着いた人々により発展した様々な産業や工業が一気に栄え、このエリアが奈良の商工業の中心地となりました。
もう一つならまちの町屋の特徴に「奈良格子」という太くて間隔の広い格子がありますが、それはシカから家を守るだけでなく、シカを傷つけないという配慮から生まれたデザインです。
※手配をしたガイドの中に、本協議会主催のガイド研修を修了した学生ガイドが含まれることがあります。
INBOUND COURSE
04
奈良公園には、たくさんの野生の鹿が生息しています。
この鹿たちは、なぜここにいるのでしょうか?
その理由には、奈良に深く結びつく「神」や「仏」・「権力者」といった多くの要素が複雑に絡まりあっています。
このツアーでは、これらを1つ1つ解き明かしながら、「神々と仏の"力関係"の物語」を辿ります。
※こちらのルートは、プロトタイプです。 今後、 変更になる場合がございます。
※こちらのコースは現在、販売準備中です。
05
奈良の市街地のすぐ近くに、「春日山原始林」があります。
ここは、1,000年以上前に神聖な場所として狩猟・伐採が禁止され、「大樹の森」と呼ばれるなど今日まで豊かな自然が残されています。
奈良に古くから伝わる「信仰」にも深く結びついておりますが、以外にも、ここを知る人は多くありません。
このツアーでは、あまり語られない春日山原始林の魅力を、全身で体感することができます。
※こちらのルートは、プロトタイプです。 今後、 変更になる場合がございます。
※こちらのコースは現在、販売準備中です。